冨士塚・浅間神社


寛政元年(1789年)の築造と言われ、円墳形に土を盛り上げ、富士山の溶岩は頂上近くのみ配されている。頂上に至る登山道は自然岩を用いた階段となっており、山腹にはクマザサも植えられている(高さ6m)。山裾の御影石の里宮(浅間社)をはじめ、7合目には身祿様が安置されている洞窟、烏帽子岩、釈迦の割れ石、山頂にボク石で覆われている奥宮等富士山を再現している。また富士塚の前にある池にみたてた場所には、毎年開山式(6月3日)の頃菖蒲が咲き、訪れる人の目を楽しませている。なお、富士塚の山頂には浅間神社の奥宮、山麓には里宮、浅間神社が奉祀されている。昭和60年(1985年)6月、浅間神社の社殿が御影石にて建て替えられた。
山岳登拝を目的とした冨士講は化政期(1804-1830年)には江戸を中心に爆発的に隆盛した。冨士講は、角行を開祖、身禄を講祖とし、先達・講元・世話人の三役を指導者にして、講員は江戸や関東の各地に富士山を模した富士塚(浅間塚)と呼ばれる人造の山を富士の溶岩(黒ボク)を持ち運んで築いた。この塚は富士の遥拝所または代理登山の場所としての性格があった。6月朔日の御山開き(初山)には、各家は山を遥拝し、講中は白装束の行衣に金剛杖を持ち、六根清浄(ろっこんしょうじょう)と唱えて模擬登山を行ったり、近隣の七ヶ所の富士塚をめぐる七富士参りの習俗もあった。
【参考文献】
1)東京都神社庁 教学委員会 富士信仰研究部会、”大江戸のお富士さん”、ファンダグラフス