仙寿院

仙寿院は正保元年(1664年)、徳川家康の側室お萬の方(養珠院)のゆかりの日蓮宗の寺院であり、養珠院が紀州徳川家屋敷内に建立した草案が始まりであり、初代の徳川頼宣により千駄ヶ谷に移された。従って江戸期、紀伊徳川家、伊予西条松平家の江戸表における菩提寺祈願所として、十万石の格式をもって遇せられ、壮大な堂宇と庭園は江戸名所の一つに数えられ、春には桜が美しく、谷中の日暮里に対して青山新日暮里(しんひぐらしのさと)とも呼ばれた。

 

 

 

 

 

仙寿院庭中(江戸名所図会)

新日暮里(しんひぐらしのさと)同所二丁  西南の小川を隔てて法運算仙寿院といふ日蓮宗の寺の庭を   。此の辺の地勢をよび寺院の林泉の趣、谷中日暮里に似て頗る美観なり故に日暮里に相対して仮初に新日暮と字せり。弥生の頃、爛漫なる花の盛りには大いに群衆せり。当寺は紀州公御母堂養殊院日心大姉正保紀元甲申草創あり。当寺の鬼子母神は同大姉甲の延嶺にして霊 を感じ大野の辺の土中に得られて後、當寺開創落成の日安置ありしとなり。同所一町ばかり東南、龍岩寺といへる濟家の全集の寺の庭中に笠松と称するあり。枝の  三間あまりあり。

 

【参考文献】

Wikipedia 仙寿院

仙寿院庭中:江戸名所図会